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(Source: hsgn)
※2012年以前の作品は原盤権を持っていないので、今まで通りの扱いになります。
※コラボ作品の場合は、コラボ相手の意向もあるのでその都度アナウンスします。
※とりあえず5年間やってみます。良い感触を得られれば5年後以降も続けます。
良く言われるように、音楽とリスナーとの関係が「所有」から「共有」へ移行していくとすれば、その最大のボトルネックになるのが著作権なのではないでしょうか? もちろん、時代に合わせて著作権の形も変化して行くのかもしれません。でもそれまで待っていられないということで、自分たちを使って作品の流通の仕方を実験してみることにしました。
また、今現在巻き起こっている音楽の未来像についての議論が、今ひとつ踏み込めない、精彩を欠いているような印象さえ抱かせるのは、「どう音楽でマネーメイクするか」という点から離れられないからではないでしょうか。いったんその制約から離れ、ミュージシャンの論理でなくユーザーやネットの論理に身を任せた先にどんな景色が見えるのか。その景色を見てみたいという思いから、音楽をフリーにすることにしました。”
昨日だったか、
ゴミ売り新聞で「カジノ景気に沸くマカオ」という記事があって
「中国の富裕層を取り込んで拡大する巨大賭博産業」
といった趣旨で書かれてたが、そんなマカオの売り上げは年間4兆円だそうだ。
ちなみにラスベガスを含めたアメリカ全体のカジノの売り上げは約3兆円。
そして日本のパチンコ産業はは昨年の売り上げ20兆円。
どれだけイカれた世界かわかるか?お前が今住んでいるこの国の現実がだよ
例えば、小さい子どもを出して、ただひたすらけなげに酷なことをさせればいい。(装置)
雨の中、知らない街でお母さんを探すとか、いなくなったペットをひたすら探して転んで膝をすりむくとか。
悲しげで大げさな音楽をこれでもかと流す。演技が真にせまっていれば(演出)大抵の観衆は自動的に泣く。
泣くのは快感だから、大抵の観客は泣かされても文句は言わない。
みうらじゅんはそういうのを「涙のカツアゲ」と呼んだ(Always三丁目の夕日を例にあげて)。
”こんな事にも効果があるとフェイスブック効果に感心していた矢先
夕方に、実はこの家庭への悪質ないじめなのでシェアしないで下さいと書き込みがありました。最初の悪質な投稿をした人間は既にフェイスブックを退会しているとの事。

正直、どっちが本当なのか分からない。”
そんな中で、漫画家のとり・みきが「一杯のかけそば」を読んだ時の文章を引用しよう。
泣かなかった。 だが、泣く人の気持ちはわかるような気がした。別に泣いたっていいじゃないか、とも思った。問題はその先だ。多くの人が「ああ、自分は泣いてしまった。不覚ではあるが事実は事実だ。ここは厳粛にこの事実を受け入れ、この作品を評価せずばなるまい」と思い込んでいるようなのだ。これが私にはよくわからない。皆あまりに自分の生理現象を信頼しすぎているのではないか。人は梅干しの写真を見れば唾液が出てきてしまうのだ。 私などそりゃもう恥ずかしいぐらいによく泣く。このあいだは、タイトルも知らない単発ドラマを、終了5分前から観始めて泣いた。登場人物の人間関係も、そこまでのストーリーすらまったくわからないのに、ある年配の役者が発したセリフのひと言に感じ入って涙が出てしまったのだ。これにはさすがの私もあきれ、そして理解した。 人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。 かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか。かくして私はモスクワ同様、涙を信じない。
”
(Source: sintintaisya)




